営団地下鉄と都営地下鉄 関東の鉄道の変遷

営団地下鉄と都営地下鉄 関東の鉄道の変遷

営団地下鉄(東京メトロ)ってなに?

関西人のための東京路線ガイド。

 

次は「東京の地下鉄」だ。

 

東京には2種類の地下鉄があって、「都営」と「営団」(えいだん)だが、都営は分かるが営団ってなに?というのが、上京した当時の謎だったことを覚えている。

 

営団地下鉄は、国と東京都が出資する組織で、現在の「東京メトロ」になっているが、2004年までは「営団・営団」と呼ばれていた。

 

なので今でも「営団」と言う人もいるだろう。

 

営団とは、「帝都高速度交通営団」の略で、日中戦争の頃に、東京の地下鉄事業を、整理統合してできた公的組織だ。

 

戦前の関東には山ほど私鉄ができたが、経営難や戦争遂行のために、重要路線を国有化したり、整理統合していた時期がある。

 

東北本線も、中央本線も、常磐線も、南武線も、相模線も、元は私鉄路線だったものを、国有化してJR線にしたものなのだ。

 

このとき、私鉄も地域ごとに統合すべきだとされ、昭和13年にできた「陸上交通事業調整法」で、関東を4つのブロックに分けて、それぞれ一社に集約することになった。

 

地域独占によって、経営の安定化が狙えるし、国も鉄道事業の統制管理がしやすいという事だったんだろう。

 

そこで神奈川方面では、競合鉄道の株式買収をしまくって、傘下に入れていた元官僚・五島慶太率いる東急が、再建中の小田急と合併し、大東急グループができた。

 

そして常磐線と中央本線の間の地域は、西武鉄道が、常磐線と東北本線の間の地域は、東武鉄道が、東北本線以南の地域は、京成鉄道が存続会社となり、鉄道事業やバス事業を整理統合することになった。

 

このとき、東京市のバスは都営に集約され、地下鉄事業は営団に集約されることになったワケだ。

 



都営地下鉄は、線路幅がそれそれ違う

日中戦争の頃、乱立した私鉄を整理するため、陸上交通事業調整法が成立し、その結果、関東の私鉄は地域別に、東急・西武・東武・京成に集約された。

 

東京都区部では、バスは都営に集約され、地下鉄は新しく作られた営団に統合された。

 

そのため、1960年(昭和35年)に、都営浅草線が開業するまでは、地下鉄と言えば営団地下鉄で、その後も地下鉄は、ほぼ営団の独壇場だったわけだ。

 

しかし営団地下鉄だけでは、鉄道路線の整備がなかなか進まなかったため、営団に割り当てられていた鉄道敷設免許を、東京都と私鉄に割り当て直して、都営地下鉄というのが作られ始めたわけだ。

 

最初に免許を割り当てられたのが、京成と京急をつなぐための都営浅草線だ。

 

都営浅草線は、1957年(昭和33年)に免許が与えられ、1960年に一部開業したのだが、京成線のレール幅は「馬車軌間・変則軌間」で、京急線「標準軌」とレール幅が異なっていたため、京成線と浅草線は、京急線のレール幅に合わせた。

 

その後にできた都営三田線(みたせん)は、東急のレール幅に合わせて「狭軌」を採用、都営新宿線は、京王線にあわせて「変則軌間」で作られている。

 

つまり、都営地下鉄は路線ごとにレール幅が異なるという、ちょっと変わった鉄道会社になってるわけだ。

 

東京都交通局は、地下鉄の他に、路面電車(都電荒川線)、新交通システム(日暮里・舎人ライナー)、上野モノレール・都営バスなどを運営している。

 

都営地下鉄 路線図
東京都交通局のホームページより

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